私がニートになるまで。~ストライキ・セクハラ・ストーカー・盗撮と病気~

私はニートです。


かれこれ、1年です。


なんか、タイトルの~からのサブタイトル、えぐくなってしまいましたね…(;_:)2時間特番みたい。
そんな重たく考えないでくださいね(^v^)
みつばちと菜の花

(春です、せめて画像は明るくしておきます)

 

 

私の仕事を辞める2年前の話から

 

 

さて、、私は病院で働いていましたが、院内の様々な陰謀渦巻く抗争に巻き込まれ、やめることになりました。

こんなこと言うと、大げさだと思われるかもしれませんが、本当に、映画になる様な内容の濃さでした。


ボイスレコーダー・銀行・マスコミへのタレこみ・不当解雇・議員…


詳しくは言えないですが、こんな中規模の病院に、市議会議員までかかわっていることに驚きながらも、映画のような周りの策略と陰謀に翻弄される日々が仕事を辞める2年前から続いていたんです(今から3年前)。


私の部署の同僚は、その抗争のせいで、私の辞める一年前に全員辞めました。(なんか時系列が複雑ですね。わかりますか?)


当時、全員やめると聞いて、こりゃいかんと思い、私も退職届を出していました。



それが、なぜ私だけ残ることになったのかと言うと、私だけ次の職場を決めておらず、辞めた後のんびりする予定だったので、引き継ぎの役割をしてほしいと上司に頼まれたからです。




そんなこんなで、一人残った職場…


 

仕事を辞める1年前からの話

 


ちょうちょとおはな


部署のメンバーは、ハローワークに募集を出したことで、1か月もたたずに再びそろいました。

でも、重くのしかかる責任…もちろん私がみんなにいろいろ教えないといけません。




そして、その1年でセクハラとパワハラとストーカーと盗撮にあいました。




ちょっと笑いが出てきそうでしょ?





自分でも、パソコンを打ちながら笑いが出てきちゃいます。






新しく来た、60歳を過ぎた先生からの朝晩のメール。

「今日は目が合わなかった」
「夜中もずっと君のことを考えている」


そんな内容のことばかりが、出勤前から届き、先生の顔を見るのも嫌になりました。
病院に行くことがストレスに感じてなりませんでした。

 

 

 

詳しく書けばもっといろーーいろあるのですが長くなるので割愛。

 

 

 

 

 

 


パワハラは院長からです。これも凄かったんです。

 

 

 

 

院長はものすごいワンマンで、今まで何人もの部下とぶつかってトップクラスで働いてた人の退職者があとを立たず、さらに気に入らない人をどんどん解雇して。

もちろん、反感をかうので、不当解雇された人が、役所に訴えたり、ホームページへの書き込みをしたりがありました。

 

 

 

タレこみがあったからと、突然の役所からの監査が来ることも数度ありました。。そのたびに、院内は騒然としていました。

  

 

わたしは事なかれ主義のため、気に入られるよう立ち振舞って難を逃れてましたが、それでもやはりそれだけの院長なので色々ありました。部署を代表する役目を担ってしまったため、職場を辞めるときには、罵声を浴びせられました。

退職をとどまって、部署を立て直してくれてありがとう、お疲れ様、と声をかけられることがほとんどでしたが、院長だけはさすがでした。

 

 

細かいことは、ここも複雑なので割愛。


春 桜とポピー
(全然内容と合ってない写真ですが、花で中和を図る)

 

 

 

 

 

ストーカー被害

 

 

これは、他部署の人から。


朝、毎日私の行くスーパーの前で待たれるようになりました。



その人が休みの日も来てるんです。



お菓子をくれたり、手紙をくれたりするようになり、気持ちは嬉しい反面、外で待たれるのはほかの人の目もあり困りました。
歌を作って、ラインで送ってくれたり、手作りのオルゴールをくれたこともありました。


告白され、断ったのですが、友達でいいから、とラインは続き、手紙も続きました。



彼のラインも徐々に増え、毎朝・毎晩です。

ラインを返さなくても、どんどん来ました。

先生と彼の攻撃にあい、疲弊していく私…。



ラインをたまにしか返さない日々が続くと、彼は逆上し始めました。


ラインで責め立てられ、なぜか殺人者扱いまでされました。。
私は、「感情の殺人」をしていると言われたのです。


これは本当にただ腹が立って、怖くて…

 

 

 


ついには、彼はマスクと帽子をかぶって変装し、同じバスに乗ってきて、家までつけられたんです



途中で気が付いた私は、お店に入ったり、何とか撒こうとしましたが、撒ききれず怖くなって家に走って帰り、家がばれてしまいました。



あまりの恐怖に、職場でその人と仲のいい男性に電話をかけて、つけられたことを相談しました。

その男性は、すぐにその彼に電話をかけて今どこにいるのか、と何気なく場所を聞いてくれたみたいでした。

 


彼は「散歩している」と言ったそうです。




色々あった1年後、「引き継ぎももう十分だろう、あとは知らん」と私は仕事を辞めました。

 

 

 

仕事を辞めてから、盗撮の事実

 

 

 

その後、警察から連絡があり、更衣室で着替えているところを盗撮されていたことがわかりました。

しかも、何度もです。

更衣室以外でも、部署で他の人と話している姿や、飲み物を飲んでいる姿なども盗撮されていました。

警察で一つ一つ画像の検証を一緒にさせられました。

カメラ

盗撮のほかに、ストーカー行為でも、訴えませんか?と勧められましたが、逆恨みが怖かったし、もう関わりたくない一心で断りました。


 

 

復職の勇気がわかない

 

 

そんなこんなで、仕事を辞めてから…1年!!

もう復職の勇気がわきません笑。

セクハラとストーカーの心の傷が…とかでは全くなく、ただ単に、超昼夜逆転だからです。

あと、体も昔から弱く、すぐに体調を崩すので\(^o^)/(;_:)

そして、ずっと無理していたこともあったんです。

空と赤い花

 

 

仕事をしていた10年間、誰にも言わなかったこと

 

 

今まで、10年間働いて誰にも言ったことなかったのですが、大学生の頃にパニック障害を発病して、それもあり、仕事はずっとつらかったんです。


呼吸困難感と動機や手のしびれ、発汗、死んでしまうかもしれないという恐怖、、、発作が起こるとトイレやロッカーに駆け込んで沈めていました。



会議などで動けない時には、しびれていく手の感覚と動機、息苦しさを必死で我慢していました。




発作や体の調子の悪さを必死で隠していた私は「先輩、悩みなさそうですね!」と後輩から言われたり、同期からもちびまる子ちゃんのような「のんびりマイペースでお調子者」という評価を得ており、どちらかと言うと明るいキャラクターだと思われていたと思います。


そう思ってほしかったから、そう振舞っていたというのもあったので、それでいいんです(^v^)v。




職場の同僚はみんな明るくて気さくに話しかけてくれて、同期もめちゃくちゃに仲が良くて楽しかったんです。



でも、発作はだからっておきないわけじゃないんです。



みんなで旅行に行った楽しい時にも、起こるし、ものすごく疲れやすいんです。これが嫌。(>_<)
(もう眠いから寝るわーなんて言って隠していたけど、本当はそんな時、息苦しさと冷や汗で大変だったりしました。)


春 かごと花畑


そんなこともあり、仕事に復帰する勇気も持てずに1年が経ちました。


 

 

まとめ

 

以上、私がニートになるまで、でした。

波乱万丈なこの人生、楽しんでいただけましたか??
病気のところは、余計なこと書いちゃったかなって思ってます。。

 

同じような方も、いるかもしれません。

ブログを始めてみて、パニック障害ですというコメントをよく見かけることに驚きました。本当につらいですよね。死ぬかもしれないという発作の恐怖は、ならないとなかなか理解されないかもしれないですね。

でも、生きたいから怖いんですよね。のんびり長生きめざしましょう(*^U^*)笑

 

では、長くなったのでこの辺で…。

次回は、ニート生活について書きたいと思います。\(^o^)/