テレビを見て勘違いすること。(製作者にはめられています。)

クイズ番組を見ていて、かなり調子よく正解を出せることがある。

 

それは工場なんかで何かを作っている工程を見て、何が出来上がるのか当てるものだったり、パズル的な図形の問題だったり、小説や絵画、クラシック音楽の作者を答えさせるものだったりする。

CRT television on grass field

そんな問題を、テレビに出ている有名大学出身者や、インテリ芸能人とされている方々をさらりと出し抜き、答えを頭の中で閃かせることがあるのだ。

 
そんなことが、1つのクイズ番組中に何度も起ころうものなら、どうして1人で見ているのだろうと悔しくなる。
 
家族でもいようものなら、テレビ画面を指しながら「はいっ!〇〇!」と答えを華麗に導き出し、おぉ~と唸る家族にニヤリと口元を歪める自分とその優越感がリアルに想像できるのに。
(この場合、家族はあまり頭が良すぎたら困る。馬鹿すぎても嫌なのだが。)
 
 
もしかすると、結構博学なのではないだろうか。このテレビに出演していれば、あの早稲田出身の芸能人よりも良い働きをしたのではないだろうか。
などと、本当に博学な人からすればちゃんちゃらおかしい考えも浮かび、もしかするとだが、結構ありそうな確率で、クイズ番組制作側の思惑にもしっかりひっかかっているとも考えられる。
 
 
そんな私の思考プラス、やはり頭のいい人の度肝を抜くような頭の良さは見ていて爽快で、憧れと尊敬の念を持ちながら、どこかで優越感を感じるチャンスを伺いながら時々クイズ番組を見ている。
 
 
The Muppets Kermit plush toy on gray sofa
そして昔に増して最近、お笑い好きな私は、別の間面でもそれと同じような体験をするようになった。体験、とゆうか、それは「勘違い」に置き換えても、一般では何ら変わりなくむしろ正確性を増すのだろうが。
 
 
それは、好きなお笑いコンビが出ているバラエティー番組を見ている時、ちょくちょくナイスなツッコミをするようになったことだ。
大好きなコンビの、明らかにボケの意図を汲み取りきれてないツッコミを見たとき、プロの速さと視点の的確さで面白いこと言えている自分がいる。
 
そして、惜しいなぁ、私みたいに言えばもっと笑いが取れるるのに、と思うことがここ最近数度あった。
これは、とても世間の批判を買う話だと思うが、もちろん自分でもわかっているのだ。
プロはレベルが違う位すごいこと。
家でダラダラ余裕かましながら見ているのとは環境から違うこと。
そして自分が仮に出ていればもじもじ一言も発さずに終わるであろうこと。
 
 
そんな事は、わかっているのだけれど、それでもテレビの前で横になりながら、かきの種を人差し指の腹にくっつけて食べている私が、たまにお笑いコンビを超えたとても面白いこと思いつくのは事実以外の何者でもないことをここに強調する。
 
 
こんな様々な、「なかなか筋があるんじゃないか」と思う機会を得ながら最近はテレビを見ている。
 
 
いちど感じた優越感は、チャンスのたびにセンサーを反応させるだろう。
 
 
 
私の勘違いはまだまだ続きそうだ。