彼のハンカチ。
私は、高鳴る心臓の音が周りに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいにドキドキしていました。
冷や汗と、コーヒーカップを持つ震える手。
夕方、よく行く街のカフェ。
そこには、元カレの姿がありました。
仕事終わりのようで、窓際に座り、コーヒーを飲んでいました。
元カレとは、3年ほど前に別れていました。
別れを告げたのは私です。
付き合って、1年くらいはとても順調でした。お互いの両親にもあいさつに行ったり、週に2・3回は会って、お出かけをしたり、一緒に家でテレビを見て笑いあったりと楽しい時間を過ごしていました。
別れのきっかけは、彼の公務員試験勉強。
仕事はもともと公務員だったのですが、「さらに上のレベルを目指したい」と難しい試験にチャレンジしていました。
彼の頑張りはすごかったです。
電車の中でも、単語帳を開き、新聞をとって記事をスクラップし、面接の練習も一緒に何度も行いました。
試験は無事合格。とてもうれしかった。
でも、「合格したら、一緒に住もう」と言ってくれていたのに、全く言われなくなりました。
今になって考えてみれば、きっと今までの勉強が大変で羽を延ばしたい期間だったんでしょうね。
そんなこと、当時の私は考える余裕がありませんでした。
不安になって、耐え切れずに自分から別れを告げてしまいました。
急な別れに、彼はびっくりしていたけど、その時の私は、不安から逃れられたようですっきりしたんです。
でも、時間がたつごとに、つらくなっていきました。それから、ずっと3年間後悔してきました。
少し経って、彼に新しい彼女ができたのも知っていたし、彼はとても彼女を大事にする人なので、もう私にはチャンスがないことはわかっていました。
2年間とても大事にしてくれていたのだから、悲しいけど、余計に彼の考えが変わらないことはわかるんです。
でも、誰のことも好きになれず、新しい彼ができても、結局数か月で別れてしまうくらいにその元カレのことが好きでした。3年間、私は、泣いてばかりいました。
「彼に声をかけようか」
カフェで私は悩みました。
「どうしよう」「今さら何を言っても、意味がないんじゃないか」「彼には迷惑なだけじゃないか」「後から自分が傷つくだけじゃないか」「私、うまく伝えられる?」
震える手を擦りながら、あらゆる感情や思い出が頭を駆け巡りました。
でも、ひとつ強く思ったことがありました。
「今を逃したら、もう一生彼に思いを伝えられないかもしれない、後悔したくない。」
飛び出そうな心臓を抱えて、私は彼に話しかけました。
「久しぶり、ねぇ、少しの時間だけ話を聞いてもらってもいい?」
彼はびっくりしていましたが、カフェの隅っこでなんとか話を聞いてくれました。
今までのこと、謝りたかったこと、ずっと好きだったこと、でも彼が彼女を大事にしてるのもちゃんとわかっていること、話すうちに涙があふれて、仕方ありませんでした。
あまりひとけのないところではあったけど、それでも、そんな人見かけたらびっくりしますよね…。でも、私にはもうそんなことどうでもよかったです。
伝えたかった3年分の思いがあふれ出して、止らなくなっていました。
ふと、彼がハンカチを差し出してくれました。
付き合っていた時、彼はいつも4・5枚持っていたポールスミスのハンカチを自慢していました。
「俺は、ポールスミスのハンカチを1週間分(7枚)揃えるんだ!」と宣言して、「何それ」と笑いあっていたのを思い出しました。
「これ、ポールスミス?」
顔をあげ、私は不意に聞きました。
彼の目は赤くなっていて、少し泣いていたんだと気が付きました。
「いや、今はそうじゃないのもある。」
と言って、少し笑いました。
私も少し笑いました。
その時、3年前の2人が、そこにいるような気がしました。
涙を拭いたハンカチは、彼に返しました。
私が洗って返すことはできないのだから。
別れ際、私は「今までありがとう」と手を差し出しました。
彼との握手は、懐かしい手の大きさでした。
私が店を出るとき、「またね。」彼が言いました。
振り返ってうなづきました。
「またね。」なんて嘘なくせに。
でも、彼からもらうものなら何でも受け取りたかった。
それから、また3年が経ちました。
彼とは一度も会っていません。
彼は結婚したと、遠いうわさで聞きました。
泣いてばかりいた私も、だいぶ落ち着いて、少しは前を向けるようになりました。
あの時、とても迷ったけど、かっこ悪くて迷惑で、どうしようもない女の子だったけど、彼に話しかけたことに後悔はないです。
こんな風にあの時のことを思い出すと、ブログに書いてみると、今もまだ涙がこみ上げてきます。
人にとっては、良くあるただの陳腐なセンチメンタリズムかもしれません。でも、書くことは昇華すること。
人の人生なんて、そんなもの(人からしたら陳腐な、でも大事な場面の一つ一つ)で出来上がっているのかもしれません。
決断が「正しい」かどうかなんて、そんなことはどうでもいいことです。
人生はいくつもの決断の上に成り立っているから、私は今も、あの時の震えながら彼に話しかけた自分にエールを送りたいです。
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